このブラウンGPの優勝に対して発言の多くに元HONDAと表現される事が多い。中にはHONDAがまだチームを運営していればHONDAの勝利になったのに、と残念がる輩も多い。確かに前身はHONDA F1チームであるがはっきり言えばまったくもってHONDAとは無関係である。あの車を設計し運用しテストを重ねたのは当時のHONDA F1チームであったがその前身がBARであるように生粋のレース屋がやっていたのである。HONDA自体はその独自性を出そうとしてジェフ・ウィリスを解雇、自らの手でRA107とRA108を生み出した。ところがそれは結果をもたらすことなくロス・ブラウンを引き抜き組織の改革を目指していたのだ。
ジェフ・ウィリスを頼り継続したマシン開発をすればRA107もRA108も決して失敗はしなかったであろう。コンサバで堅実なマシンが出来ていたはずだ。しかしHONDAはそれを拒否、自らチームを買い取り自らF1マシンの設計、製造を目指したのである。完全に社内での開発という事である。しかし彼らは最後までF1を数値化出来ず苦闘を続ける。この状態の中でロス・ブラウンを得たのはHONDAとしてはもう後が無いと覚悟を決めていたはずだ。なぜならHONDA中心のF1チームがまたレース屋の手に渡るのである。再びHONDAは単なるリソースと資金提供のための存在となったであろう。何が何でも勝たなければならないという命題にHONDAは結局自らの力を放棄、外部の力を必要としたのだ。
F1とは非常に複雑でややこしい。実際にHONDAという企業がどれくらいF1に関わり膨大なリソースを費やしたとしてもそれはやはりHONDでは無くHONDAが雇っていたレース屋達の力に過ぎない。本質的にこれは変えようが無く専門職に頼るしかないのだ。先進のHONDAですらそのF1全てを数値化する事は不可能だったという事なのだ(当然数値化されれば職人は不要になる、HONDAが真っ先に導入したテレメタリーシステムは職人の勘を数値化する手段である)。
ここまで見てくると自動車メーカーがF1に参入する意味は何かと自問するであろう。今のF1は先鋭化し市販車にフィードバックされる技術はほぼ皆無である。有名な「走る実験室」はもはや別次元、自動車メーカーが口を挟める部分は無いのだ。ではなぜその無意味と言えるレースに参戦するのか?やはりプロモーションという部分かもしれない。そして人材育成という方法論かもしれな。
熾烈な戦いの場は自動車業界の持つ競争よりも濃縮で短時間で結果が出てしまう。その状態で働くスタッフにかかるプレッシャー、ストレスは相当なものだ。それらを克服しただ勝つという目標に向かう事は精神的に大きな鍛錬となる。はっきり言えばそこで覚えた技術などはどうでもいいのだ、テクニックなど何の役にも立たない。そこで役立つのは困難に向かう姿勢であり勝つためならあらゆる方法を試すという貪欲さであろう。
HONDAは何かを得たであろうか?F1からの撤退は彼らにマイナスイメージを与えただろうか?勝てぬままF1から去った(RA106は純粋にHONDAとは言い切れない)HONDAには無念の気持ちもあるだろう、しかしここまでやってそして方向転換をせざるを得なかったのは彼らがもはや単なるレース屋を雇っていける立場の企業では無くグローバルな視点で戦わねばならないという変化を受けたものだと思っている。
HONDAの目指したF1の数値化は形を変え市販車にフィードバックされるだろう。その実践方法は異なるが目に見えぬものを数値化しその技術を職人に頼らないシステムを構築するに違いない。F1の最前線で戦ったスタッフは過酷な環境でも目的を持って取り組む事が出来るだろう。それは最終的な目標が変わっただけである。F1なのか市販車なのかそれともそれ以外なのか。
ブラウンGPは素晴らしい仕事を成し遂げた。HONDAのリソースを最大限使いきり出した結果があの偉業である。彼にもはや元HONDAの言葉は要らない、彼らは彼らの力で勝利を勝ち取ったのだ。HONDAの力では無いのだ。
タグ:HONDA


