2009年05月19日

F1というもの

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今年のF1は開幕から新生、ブラウンGPが快走している。ジェンソン・バトンはポイントリーダーを独走、去年までの成績は一体なんだったのかと思ってしまう。そう、その去年とのギャップだ。これが今のF1を如実に語るものだろう。

F1におけるハードウェアは絶対である。どんなに速いドライバーがいたとしても優れたハードウェアであるその時点で最速のマシンに乗っていなければ勝つ事はままならない。現役のチャンピオン達、アロンソ、ライコネン、ハミルトン、彼らがどれだけドライバーとして優れていようとも今期の成績を見れば一目瞭然である。

ハードウェアの戦いに明け暮れるF1にドライバーの価値は低い。いや、ドライバーを非難しているわけではない。F1ドライバーまで登りつめるのだからそれはもう世界最速のドライバー達なのだ。しかしそのドライバー達を公正に測る物差しはF1という世界はまったく存在していない。

公正に測りたいのならIRLでもGP2でもF3でもいい、F1よりは統一された環境でその腕を試せばいいのだ。F1は最速の”マシン”の戦いでしかない。ここで公正になるのは少なくとも同じマシンに乗るチームメイトだけである。現時点ではバリチェロよりバトンが優れている、それだけの事である。バトンがアロンソよりも、ライコネンよりも優れている劣っているとは誰にも判断が出来ないのだ。

F1は技術の場、ドライバーは部品のひとつでしかない。それもちゃんと言う事を聞く機械のようなドライバーが必要なのだ。クレイジーなドライバーはF1にはもはや必要は無くどのどんなドライバーも均一化される。あとはハミルトンやマクラーレンのように勝つ為の手段を履き違えない限り勝てる事は有り得ない。

ではなぜそのF1に技術の足かせをするのか?無論足かせやレギュレーションによる縛りがあってこそ本来の技術力は試される。しかし無意味にそのテクノロジーを封印させてしまう事に意味を見出すことは出来ない。今回チーム運営に関わる重要な決議が紛糾している。テクノロジーの塊であるF1に最適なものは何なのか、それは誰にも分かりはしない。しかしそこにドライバーによる戦いがあるのかと言われれば私は無いと答えるしかない。F1は技術の場なのだ、ドライバーが関与する要因はほんの僅か。その僅かの戦いへの興味はもはや薄れてしまっている。

次戦はモナコである。「マシンの優劣の差が少ない」モナコはドライバーの腕試しが試される貴重な場である。しかしそこはF1が走るにはあまりに旧式な場所である。優劣が無いのならフェラーリにもいやフォースインデアにも勝機はあるのだろう、そう願いたい。
posted by papa at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | F1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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