2009年06月25日

残念だ

F1分裂騒ぎはとりあえず収まってしまった。まったく残念でたまらない。あのまま分裂してしまえば面白いのに最後の最後でつまらなくなってしまった。

これでしばらくはこの茶番劇も続きそうだ。少なくとも何かしら面白い要素があるとは思えずかと言って丸く収まってしまったために硬直具合はさらに進行するだろう。

しかし私はF1にいったい何を求めているのだろうか?この振り上げた拳の下ろしどころが分からない。
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2009年06月20日

いよいよ楽しい時間がやってきた

FIA対FOTA、ついに決裂の時来る。

素晴らしい、今のF1など分裂再構成した方がいいのだ。いや、このF1などという名前すら捨てて行けばいい。確かに分裂したシリーズの存続はお互いに厳しいものがあるだろう。しかし現行のままでは結局元の木阿弥でありテクノロジーを競うという面ははっきり行ってまったく価値が無い。

そもそもF1とは何なのか?ドライバーの腕を試すにはまったく向いていないカテゴリーであるばかりかこのまま行けばテクノロジーすらも抑え付けてしまう。いったい何を見せると言うのか?

まったく面白みの無いレースを見せられるよりも分裂して自動車メーカー主体のワークス対決を見るかレース屋によるドライバーの腕を見るプライベート対決を見るのか、後は観客に判断させればいいだけだ。

どちらが生き残るかそんなのはどうでもいい。この硬直した現状を打破してくれるなら分裂でも何でもいい。新たな突破口を開いてくれるだけでいい。それで十分だろう。

もっともウィリアムズのような武骨なレース屋が一番貧乏クジを引いたのだけは残念である。しかし個人的にはウィリアムズもF1など止めて他のカテゴリーで活躍して欲しい。自動車産業に巻き込まれるのもFIAのような独裁者に巻き込まれるのも彼らの本意では無いだろう。なら別のシリーズで存分に采配をすればいいのだ。

F1分裂万歳。

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2009年05月19日

F1というもの

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今年のF1は開幕から新生、ブラウンGPが快走している。ジェンソン・バトンはポイントリーダーを独走、去年までの成績は一体なんだったのかと思ってしまう。そう、その去年とのギャップだ。これが今のF1を如実に語るものだろう。

F1におけるハードウェアは絶対である。どんなに速いドライバーがいたとしても優れたハードウェアであるその時点で最速のマシンに乗っていなければ勝つ事はままならない。現役のチャンピオン達、アロンソ、ライコネン、ハミルトン、彼らがどれだけドライバーとして優れていようとも今期の成績を見れば一目瞭然である。

ハードウェアの戦いに明け暮れるF1にドライバーの価値は低い。いや、ドライバーを非難しているわけではない。F1ドライバーまで登りつめるのだからそれはもう世界最速のドライバー達なのだ。しかしそのドライバー達を公正に測る物差しはF1という世界はまったく存在していない。

公正に測りたいのならIRLでもGP2でもF3でもいい、F1よりは統一された環境でその腕を試せばいいのだ。F1は最速の”マシン”の戦いでしかない。ここで公正になるのは少なくとも同じマシンに乗るチームメイトだけである。現時点ではバリチェロよりバトンが優れている、それだけの事である。バトンがアロンソよりも、ライコネンよりも優れている劣っているとは誰にも判断が出来ないのだ。

F1は技術の場、ドライバーは部品のひとつでしかない。それもちゃんと言う事を聞く機械のようなドライバーが必要なのだ。クレイジーなドライバーはF1にはもはや必要は無くどのどんなドライバーも均一化される。あとはハミルトンやマクラーレンのように勝つ為の手段を履き違えない限り勝てる事は有り得ない。

ではなぜそのF1に技術の足かせをするのか?無論足かせやレギュレーションによる縛りがあってこそ本来の技術力は試される。しかし無意味にそのテクノロジーを封印させてしまう事に意味を見出すことは出来ない。今回チーム運営に関わる重要な決議が紛糾している。テクノロジーの塊であるF1に最適なものは何なのか、それは誰にも分かりはしない。しかしそこにドライバーによる戦いがあるのかと言われれば私は無いと答えるしかない。F1は技術の場なのだ、ドライバーが関与する要因はほんの僅か。その僅かの戦いへの興味はもはや薄れてしまっている。

次戦はモナコである。「マシンの優劣の差が少ない」モナコはドライバーの腕試しが試される貴重な場である。しかしそこはF1が走るにはあまりに旧式な場所である。優劣が無いのならフェラーリにもいやフォースインデアにも勝機はあるのだろう、そう願いたい。
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2009年04月21日

今年のF1中継は酷過ぎる

F1、2009年シーズンは開幕から3戦、2戦が雨に祟られたものの内容自体はこれまでと打って変わっての面白さ。大幅なレギュレーションの変更により名門チームが沈み込み逆に新興チームが大立ち回りをするあたり、まったく予測が付かない。この面白さはここ数年で一番だろう。しかしこの面白さを半減させているのがあのフジテレビの中継である。

フジテレビというのはどうして何でもかんでもバラエティにしてしまうのか。あまりの酷さにレースの実況(決して理想的は無いが今の実況は悪くは無い)以外は目を閉じ耳を塞ぎたくなる。彼らがやってるのはただお祭り騒ぎにしてるだけに過ぎない。

F1、否、レースというものはスポーツでは無い。しかし非常に近い位置にある。彼らがやっているのは戦いだ。だからこそ真剣に取り組んでいる。レギュレーションの細かい部分の不備を付くことは当たり前、スパイ行動だろうが相手を騙す事だろうがそれが当然でありそこまでして勝つ事に執着する、それがレースの、そしてそのレースの最高峰であるF1の目指すべきものだ。

しかしフジテレビの演出を見てみよ、訳の分からないオープニングの演出に意味不明な人物伝。ドラマチックにするばかりで戦争とも言える部分を見ていない。まったく馬鹿げている。ヒューマンな部分を煽り立てスポーツマンシップのような下らないものを至上主義としてる。見ていると背筋が寒くなるばかりだ。

レースもスポーツも本来淡々と行うべきものだ。熱狂するのは会場にいるものやテレビの向こう側にいるファンだけ、TV局やアナウンサー、実況が騒ぐものではないしエンターティメントを追求しすぎても意味を見失うばかり。

まだF1がそれほどブームで無い頃の淡々としたレース実況はとても良かった。某アナウンサーがプロレスまがいの事を言い出してからそれはもう過剰に進み過ぎ今では見るに耐えないものに成り下がっている。今年一杯はこの演出で放送されるのだろう、無論私はフジテレビにお金を払ってはいない、無料放送を見るだけ、つまりここで言ってるのはただの愚痴である。民放が一個人の愚痴など聞きはしない、つまり私はもう諦めた。オサラバである。

愚痴のついでに。
TOYOTAをそこまで前面に出す必要があるのか?勝てもしないレースで勝ちそうな演出をしてみたり新聞に初優勝の文字まで載せるとはどういう事か?TOYOTAは日本を背負ってはいない、彼らは彼らの力の限りやっているだけだ、日本なんて関係無い。HONDAが参戦しないからと言ってTOYOTAをそこまで持ち上げる気がしれない。
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2009年03月31日

HONDA

ブラウンGPが歴史的な勝利を収めた。

このブラウンGPの優勝に対して発言の多くに元HONDAと表現される事が多い。中にはHONDAがまだチームを運営していればHONDAの勝利になったのに、と残念がる輩も多い。確かに前身はHONDA F1チームであるがはっきり言えばまったくもってHONDAとは無関係である。あの車を設計し運用しテストを重ねたのは当時のHONDA F1チームであったがその前身がBARであるように生粋のレース屋がやっていたのである。HONDA自体はその独自性を出そうとしてジェフ・ウィリスを解雇、自らの手でRA107とRA108を生み出した。ところがそれは結果をもたらすことなくロス・ブラウンを引き抜き組織の改革を目指していたのだ。

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ジェフ・ウィリスを頼り継続したマシン開発をすればRA107もRA108も決して失敗はしなかったであろう。コンサバで堅実なマシンが出来ていたはずだ。しかしHONDAはそれを拒否、自らチームを買い取り自らF1マシンの設計、製造を目指したのである。完全に社内での開発という事である。しかし彼らは最後までF1を数値化出来ず苦闘を続ける。この状態の中でロス・ブラウンを得たのはHONDAとしてはもう後が無いと覚悟を決めていたはずだ。なぜならHONDA中心のF1チームがまたレース屋の手に渡るのである。再びHONDAは単なるリソースと資金提供のための存在となったであろう。何が何でも勝たなければならないという命題にHONDAは結局自らの力を放棄、外部の力を必要としたのだ。

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F1とは非常に複雑でややこしい。実際にHONDAという企業がどれくらいF1に関わり膨大なリソースを費やしたとしてもそれはやはりHONDでは無くHONDAが雇っていたレース屋達の力に過ぎない。本質的にこれは変えようが無く専門職に頼るしかないのだ。先進のHONDAですらそのF1全てを数値化する事は不可能だったという事なのだ(当然数値化されれば職人は不要になる、HONDAが真っ先に導入したテレメタリーシステムは職人の勘を数値化する手段である)。

ここまで見てくると自動車メーカーがF1に参入する意味は何かと自問するであろう。今のF1は先鋭化し市販車にフィードバックされる技術はほぼ皆無である。有名な「走る実験室」はもはや別次元、自動車メーカーが口を挟める部分は無いのだ。ではなぜその無意味と言えるレースに参戦するのか?やはりプロモーションという部分かもしれない。そして人材育成という方法論かもしれな。

熾烈な戦いの場は自動車業界の持つ競争よりも濃縮で短時間で結果が出てしまう。その状態で働くスタッフにかかるプレッシャー、ストレスは相当なものだ。それらを克服しただ勝つという目標に向かう事は精神的に大きな鍛錬となる。はっきり言えばそこで覚えた技術などはどうでもいいのだ、テクニックなど何の役にも立たない。そこで役立つのは困難に向かう姿勢であり勝つためならあらゆる方法を試すという貪欲さであろう。

HONDAは何かを得たであろうか?F1からの撤退は彼らにマイナスイメージを与えただろうか?勝てぬままF1から去った(RA106は純粋にHONDAとは言い切れない)HONDAには無念の気持ちもあるだろう、しかしここまでやってそして方向転換をせざるを得なかったのは彼らがもはや単なるレース屋を雇っていける立場の企業では無くグローバルな視点で戦わねばならないという変化を受けたものだと思っている。

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HONDAの目指したF1の数値化は形を変え市販車にフィードバックされるだろう。その実践方法は異なるが目に見えぬものを数値化しその技術を職人に頼らないシステムを構築するに違いない。F1の最前線で戦ったスタッフは過酷な環境でも目的を持って取り組む事が出来るだろう。それは最終的な目標が変わっただけである。F1なのか市販車なのかそれともそれ以外なのか。


ブラウンGPは素晴らしい仕事を成し遂げた。HONDAのリソースを最大限使いきり出した結果があの偉業である。彼にもはや元HONDAの言葉は要らない、彼らは彼らの力で勝利を勝ち取ったのだ。HONDAの力では無いのだ。

タグ:HONDA
posted by papa at 09:17| Comment(0) | TrackBack(0) | HONDA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする